家に戻って終わったばかりの旅を振り返る時、懐かしく思い出されるのは決して観光名所と呼ばれる場所ではなく、結局、ありふれた街角の光景だったり、道端に咲いている名もない花だったり、電車に乗り合わせた子供たちの笑顔や現地の人々との会話だったりします。 そんなさりげない1シーンを求めて、自分は旅をしているのかなあと、カメは時々思います。
さて、不気味な雨雲から避難するために立ち寄ったのは、カメが泊まるB&Bから程近いパブ、The Bridge。
未だに一人でパブに入るのは勇気が要るものですが、入り口からチラリと覗いて雰囲気が良さそうだったので、そのままGo! 客はまだわずかで皆、電線にとまっているスズメのように、カウンターにとまっています。 ローティーンの娘とその父親、50代ぐらいの背の高いおじさん一人、そして7~80代のおじいさん一人。 おばさんが一人でお店を切り盛りしているようです。 カメがカウンターに近づくと、客は皆、このアジア人が一体何を言い出すのか興味津々といった面持ちで見つめています。
旅ガメ 「おいしいビターを飲みたいんですけど・・・。」
おばさん 「そうねえ。 このBanks'sがお薦めだけど・・・。 ちょっと飲んでみる?」
そう言って、小さめのグラスを半分ぐらい満たしてくれました。 カメが試飲している間も、他の客は黙ってカメを見ています。 爽やかな液体が、カメの喉を駆け抜けていきます。 気に入りました。
旅ガメ 「おいしい! これ、1パイント下さい!」
カメがそう言った途端、客が皆、安心したように笑いました。 一緒に笑うカメ。 和やかな空間です。
カメが写真を撮っていると、左隣で飲んでいたおじさんが、「大丈夫かい?」と声をかけてくれます。 パブの中は薄暗くて、なかなかうまく撮れないんですよね。
しばらくすると、今度は右隣のおじいさんが話しかけてきます。
おじいさん 「俺、日本に行ったことあるぞ。 お風呂に入ったんだ。」
温泉のことでしょうか。
おじいさん 「最初は恥ずかしかったけど、みんな素っ裸になっているし、俺たちも覚悟を決めて入ったんだ。 いや~、気持ちよかったなあ。 お風呂場の隣に床屋があったから、髪を切ってもらって、マッサージもしてもらった。 あそこは本当に良かった。」
旅ガメ 「えー、そうだったんですか。 いつ日本にいらっしゃったんですか?」
おじいさん 「1946年だよ。」
旅ガメ 「は・・・・?」
聞くと、このジョンじいさん、16歳で海軍に入り、終戦後、アジア各地を回って、日本に来たそうです。
ジョンじいさん 「本州のキューリという場所に着いたんだ。 そこから少し奥に入ったところに、陶器で有名な村があってね。 そこで、揃いの茶碗と小皿を12コずつ注文したんだ。 目の前で、とても丁寧に絵付けをしてくれた。 切れ長の目をした美しい日本人女性の絵を描いてくれたんだ。 でも、完成までに時間がかかるから、出来たら船まで届けると言ってくれてね。 出航前に、ちゃんと届いたよ。」
戦後直後の日本の様子を、ウェールズで聞けるなんて思ってもみませんでした。 それにしても、その陶器で有名な村って、一体どこなんだろう・・・。 そして、キューリってどこ?? 久里浜?
ジョンじいさん 「イギリスに戻ってから、義理の母の家でその陶器を預かっていてもらったんだ。 でも、彼女ったら、それらを全部、戸棚の1箇所にまとめて置いておいたんだよ。 ある日、戸棚の棚がその陶器の重みで落っこっちゃって、なんと、大半が壊れちゃったんだ。 信じられない! もうっ! とても綺麗だったのに!」
ジョンじいさんは、時を経た今でも残念そうです。
私が数年前に、イギリスでインドネシアのテキスタイルに関して研究していたと聞くと、「じゃあ、もしかしたら、ベルファストの麻織物については聞いたことあるかな?」と、尋ねられました。 お恥ずかしいことに、カメ、全く知りませんでした。
ジョンじいさん 「ベルファストの麻織物はとても有名なんだよ。 俺は、14の時、ベルファストの麻織物工場で、weft boyをしていたんだ。」
weftとは横糸のこと。 ちなみに縦糸はwarpです。
ジョンじいさん 「俺は、軸に横糸をセットして、シャトルを左右に動かす仕事をしていたんだ。 大きな工場で、織機が1000近くもあったんだ。」
それは、すごい。
ジョンじいさん 「その時の1日の賃金がxxxシリングさ。」 ← 残念ながら、金額を覚えていないんですよね。
そこに、パブのおばさんも加わります。
「私も10代の頃、美容師をしてたんだけど、その時の日給が「xポンドだったわ。」 ← これも覚えていない。
ここでおばさんが店を離れ、快活なおじさんが店番に入りました。
おじさん 「ハルから来たの? それじゃあ、ジョン・プレスコットに会ったことある?」
もちろん、ありません。
このおじさん、政治家だったそうです。 なんでも、当時、イギリス最年少でシティ・カウンシラーに選ばれたとか。
おじさん 「もう、引退したけどね。」
パブにいると、いろんな人に会えるというもんです。